和歌山市内の中心部 市役所から200mも離れていない
そんなところに 約15年前たくさんの野良猫がいました
思い思いに身勝手に餌をやる人がたくさんいて その野良猫たちは生きていました
当時 私は猫には全く興味もなく 野良猫がいることさえあまり気にも留めていませんでした
そんなある日 2010年の真冬だったと思います
避妊去勢せずに 賃貸マンションの一室で飼って増え続け その数40頭あまり
あげく 飼い主さんが亡くなり ほうりだされた猫たち・・・
多頭飼育崩壊
猫たちは毎日のように駐車場の段ボールの中で折り重なるように死んでいたり
目の前で車にはねられたり それはそれは悲惨な状況でした
そののち何匹かはご近所で家族として迎えられたりしてその数は減っていきました
ところが生き残った猫たちがまた繁殖していて またその子猫たちも死んでいて、、、
猫には全く興味はなかったが でも生き物は大好きだった私
毎日のように続く地獄のような状態に 行動を起こすことにしました
店の前で交通事故にあい瀕死だったちびたをまずは保護
治療していただき また妊娠中だったこともあり不妊手術をしていただきました

お店にやってきて いきなり陰部から出血して倒れたグロリア
即病院に行き 緊急手術 子宮の中で胎児が死亡し大変なことになっていたようでした
その後元気に回復 ご近所の子供たちの人気者となりました
だが 約2年後 白血病を発症して死亡

そして次は 繁殖してしまっていてやや大きくなった子猫たちを保護
この時 初めて 捕獲器を購入しました

この子たちは現在 わたしの飼い猫として元気に暮らしています
そうして 猫の問題に興味を持った私は 改めて近所を見回りました
すると まだまだたくさんの猫たちが、、、、

ともかく捕まえて不妊手術をするしかないと 捕獲器で捕獲
ただ 当時の不妊手術は一般病院にお願いするしかなく ♀1匹25000円
♂15000円の時代
ともかく♀から 自分自身が出せる金額は限られているので1か月に2匹まででしたが
コツコツと避妊手術につれていきました
保護活動なんて全く興味もなく ただあの地獄ののような光景を二度と見たくない
それだけでした
それから約4年 不妊手術に連れて行った頭数は 約40匹
おそらく最後の子猫と思われる子猫を保護
この子は もらってくださる方がいて今も元気に暮らしています

2015年 近所の野良猫たちは減り 悲惨な子猫も見かけることもなく
そうすると さらに離れた場所の野良猫たちも気になりだしました
そして2016年1月 再び活動を開始
その年の7月 城下町にゃんこの会 として団体活動を開始することになりました
これが 私代表の奥康子の活動のはじまりです
最初は かわいそうに思いそれでもただ見ているだけ お腹を減らした猫にご飯をあげるだけ
そこから 一歩前へTNRをはじめた 何も知らない誰にも教えてもらえない そんな中
捕獲器を購入し ただ近所の猫達をなんとかしてやりたいと思い行動しました
かわいそうだけでは助けられない野良猫さん
たとえ1匹や2匹 いや20匹50匹100匹保護したって何も変わらない
ともかく産まさないこと それしか猫たちの未来は変えられない そう確信しています
毎月 第一第三日曜日 譲渡会を開催しています
皆様からのご縁をお待ちしています